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平成29年(行ケ)第10029号 審決取消請求事件

判例航海日記

 

平成30年5月30日

 

技術部 末広尚也

 

平成29年(行ケ)第10029号 審決取消請求事件

「エチレン-酢酸ビニル共重合体ケン化物ペレット群事件」

 

1.事件の概要

 本件は,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。

 

(1)経緯

 発明の名称:「エチレン-酢酸ビニル共重合体ケン化物ペレット群及びその用途」

 

 平成15年7月16日:  出願(特願2003-275196号)

 

 平成22年9月3日:   設定登録(特許第4580627号)

 

 平成28年2月2日:   無効審判請求(無効2016-800013号)

 

 平成28年9月13日:  請求不成立(特許維持)審決

 

 平成28年9月26日:  審決書謄本送達

 

(2)争点

 争点は,①新規性の有無(取消事由1),②進歩性の有無(取消事由2),③実施可能要件違反の有無(取消事由3),④サポート要件違反の有無(取消事由4),⑤明確性要件違反(取消事由5)の有無である。

 

(3)結論

 原告の主張する取消事由2~4には理由があるから,審決は,取消しを免れない。

 

 以下、原告の請求が認容された取消事由2~4のうち、取消事由3及び4について検討する。

 

2.本件発明の要旨

【請求項1】(本件発明1)

「 32メッシュ(目開き500μ)篩を通過する微紛の含有量が0.1重量%以下であることを特徴とするエチレン-酢酸ビニル共重合体ケン化物ペレット群。」

(判決注:「微粉」の誤記と認める。以下「微紛」とあっても「微粉」と表記する。)

・・・・・・・・・・・・・・(請求項2以降は省略)・・・・・・・・・・・・・

 

3.無効審判における審決の理由の要点(以下、下線及び太字は筆者による。)

(1) 委任省令違反の有無について

 「エチレン-酢酸ビニル共重合体ケン化物(以下,EVOHと略記する)のペレット群及びそれを用いた積層体」(本件明細書【0001】)の技術分野において,「各種積層体に適用したときには押出機へのフィードの不安定性等によりEVOH層の界面での乱れに起因するゲル等が発生する恐れがある」(本件明細書【0005】)との未解決の課題があり,それを「32メッシュ(目開き500μ)篩を通過する微粉の含有量が0.1重量%以下」(【請求項1】)として解決したことが発明の詳細な説明中に記載されているから(本件明細書【0006】,【0007】,【0015】及び【0036】~【0045】),本件発明がどのような技術上の意義を有するかを理解できる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

 

4.裁判所の判断

1 本件発明について

本件明細書(甲30)には,次のとおりの記載がある。

(1) 技術分野

「 本発明は,エチレン-酢酸ビニル共重合体ケン化物(以下,EVOHと略記する)のペレット群及びそれを用いた積層体に関し,さらに詳しくは,成形時にEVOH層界面での乱れに起因するゲルの発生が抑制された成形性に優れたEVOHペレット群及びそれを用いた積層体に関する。」(【0001】)

(2) 背景技術

「 一般にEVOHは,透明性,ガスバリア性,保香性,耐溶剤性,耐油性などに優れており,かかる特性を生かして,食品包装材料,医薬品包装材料,工業薬品包装材料,農薬包装材料等のフィルムやシート,或いはボトル等の容器などに成形されて利用されている。」(【0002】)

「 そして,かかるEVOHを溶融成形して各種成形品に加工するにあたっては,その成形時にEVOHのゲルや焼けが発生して成形物(特にフィルムやシート等)のロングラン性や外観性が低下することがある。

かかる対策として,EVOHに金属塩を配合することが試みられている。例えば,EVOHに周期律表第2属の金属塩とpka3.5以上で定圧下の沸点が120℃以下の酸性物質を特定量配合して,EVOHの粘度挙動をコントロールする方法(例えば,特許文献1参照。)やEVOHにホウ酸,酢酸ナトリウム及び酢酸マグネシウムを特定量含有させる方法(例えば,特許文献2参照。)等があり,また,一方では,ホウ酸カリウムやホウ酸カルシウムなどのホウ酸化合物をEVOHに配合することも検討されている(例えば,特許文献3参照。)」(【0003】)

「【特許文献1】特開昭64-66262号公報

【特許文献2】特開平11-60874号公報

【特許文献3】特開平11-43572号公報」(【0004】)

(3) 発明が解決しようとする課題

「 しかしながら,上記の特許文献1~3に開示の方法では,溶融したEVOHの熱安定性は改善されてロングラン成形により発生するゲルや焼けについては抑制されるものの,各種積層体に適用したときには押出機へのフィードの不安定性等によりEVOH層の界面での乱れに起因するゲル等が発生する恐れがあることが判明した。(【0005】)

(4) 課題を解決するための手段

「 そこで,本発明者は,かかる現況に鑑みてEVOHペレットのフィード部分での挙動について鋭意研究を重ねた結果,32メッシュ(目開き500μ)篩を通過する微粉の含有量が0.1重量%以下であるEVOHペレット群が上記のようなゲルの発生を抑制できることを見出して本発明を完成するに至った。

なお,本発明においては,EVOHがホウ素化合物を含有していること,また,EVOHが融点200℃以下の酸性物質(A)及びアルカリ金属(B)を含有し,かつその含有重量比(A/B)が1~50であること等が望ましい実施態様である。」(【0006】)

(5) 発明の効果,産業上の利用可能性

「 本発明の,EVOHペレット群は特定の微粉を特定量以下に押さえているため,成形物に溶融成形したときにEVOH層界面での乱れに起因するゲルの発生がなく,良好な成形物が得られ,多層フィルムとして有用で,食品や医薬品,農薬品,工業薬品包装用のフィルム,シート,チューブ,袋,容器等の用途をはじめとして,各種成形用途に非常に有用である。」(【0007】,【0045】)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

(7) 実施例

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

ウ 「(成形性)

上記の製造で48時間後に得られた多層フィルムから10cm×10cmの大きさのフィルムを採取して,EVOH層の乱れによるゲルの発生状態を目視観察して以下のように評価した。

◎・・・ゲルの発生が4個以下

○・・・ 〃 5~10個

×・・・ 〃 11個以上」(【0038】)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

 

2 取消事由3について

事案に鑑み,まず,原告ら主張の取消事由のうち,取消事由3~5から検討する。

(1) 委任省令違反について

ア 本件明細書には,前記1(3)のとおり,「上記の特許文献1~3に開示の方法では,溶融したEVOHの熱安定性は改善されてロングラン成形により発生するゲルや焼けについては抑制される」との記載がある一方,「各種積層体に適用したときには押出機へのフィードの不安定性等によりEVOH層の界面での乱れに起因するゲル等が発生する恐れがある」(【0005】)と記載されている。

イ 本件明細書には,前記1(7)のとおり,EVOH層の界面での乱れに起因するゲルの発生状態は,目視観察でき,10cm×10cmの大きさのフィルムにおいて,

「◎・・・ゲルの発生が4個以下

○・・・ 〃 5~10個

×・・・ 〃 11個以上」(【0038】)

というように,個数を数えられ,実施例1~4においては,これがいずれも10個以下であり,比較例1では11個以上であって,10個以下であれば,成形性が良好である旨評価されている(【0044】)ことが認められる。

ウ 前記1(2)のとおり,本件明細書に背景技術として記載されている特許文献1(特開昭64-66262号公報,乙15)には,「その間フィルムにすじ状物の発生はなく,肉眼でみえるゲル状ブツ(ブツとはフィッシュアイの如き小さい塊状の欠点を指す)は,0.1~0.3個/mで,経時的に増加の傾向は認められなかった。」と記載されている(甲30【0004】,乙15の7頁左下欄下から8行~4行)。

エ 前記アのとおり,本件明細書には,「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」は,ロングラン成形により発生するゲルとは異なる原因で発生するゲルであると記載されているものの,本件明細書には,「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」が,乙15における「ゲル状ブツ」の原因となるゲルと,その形状,構造等がどのように異なるのかを明らかにする記載は見当たらない

また,本件明細書においては,前記イのとおり,「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」は,目視観察できるものであるとされ,乙15における「ゲル状ブツ」は,前記ウのとおり,肉眼で見ることができるものとされているところ,本件明細書には,「目視観察」の定義は見当たらず,後者は肉眼で見分けられ,前者は肉眼で見分けられないものを含む旨の特段の記載はないから,本件発明における「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」と背景技術(乙15)における「ゲル」を,観察方法において区別することができるとは,理解できない

このように,本件明細書には,本件発明における「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」は,本件特許出願前の技術により抑制することができるとされているロングラン成形により発生するゲルとは異なる原因で発生する旨の記載があるものの,その記載のみでは,ロングラン成形により発生するゲルと区別できるかどうかは,明らかでないというほかない。

この点について,被告は,「不完全溶融EVOH」が発生する機序について主張し,これは,従来から知られていた「熱架橋ゲル」とは異なる旨主張する。しかし,本件明細書には,被告が本訴において主張するようなことは何ら記載されておらず,被告が本訴において主張するような技術常識が存したとも認められないから,本件発明における「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」が被告が本訴において主張するようなものと認めることはできない。

そうすると,本件発明における「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」の意義は明らかでないというほかなく,本件特許出願時の技術常識を考慮しても,「成形物に溶融成形したときにEVOH層の界面での乱れに起因するゲルの発生がなく,良好な成形物が得られ」るという本件発明の課題は,理解できないというほかない。

オ したがって,本件明細書の記載には,本件発明の課題について,当業者が理解できるように記載されていないから,「特許法第三十六条第四項第一号の経済産業省令で定めるところによる記載は,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。」と定める特許法施行規則24条の2の規定に適合するものではない。

(2) 以上のとおり,本件発明についての本件明細書の発明の詳細の説明の記載は,特許法36条4項1号の規定に適合しないから,審決のこの点に係る判断には誤りがあり,取消事由3には理由がある。

 

3 取消事由4について

 (1) 判断基準

 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否か,また,発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも,当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。

 (2) 判断

 前記2(1)オのとおり,本件明細書には,本件発明の課題について,当業者が理解できるように記載されていないから,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであると認めることはできないし,発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも,当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるとも認められない。

 この点について,被告は,「本件発明は,粒径500μm(0.5mm)未満の微粉の含有量を0.1重量%以下に制御すること(新規な解決手段)により,『不完全溶融EVOH』に起因する界面での乱れによるゲル(点状に分布する透明な粒状の不完全溶融ゲルであり,EVOHの一部が極端な場合には他の樹脂層に突出するような形態)の発生(斬新な課題を抑制することができる(新規課題解決効果の奏効)という特別な効果を得る」ものであると主張するが,前記2(1)のとおり,この課題は,本件明細書及び技術常識から理解することができない

 したがって,本件発明についての審決のサポート要件の判断には誤りがあり,取消事由4には理由がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・・・・・・・・

 

5.実務上の指針

(1)委任省令要件を充足しないと判断された要因

 本事件は、委任省令要件(特許法施行規則24条の2)違反に基づく実施可能要件(特許法36条4項1号)違反の有無が主な争点となった。そして、委任省令要件の充足性に関して特許庁と裁判所の判断が分かれた。特許庁では本件発明の課題を「EVOH層の界面での乱れに起因するゲルの発生の抑制」という未解決の課題であると認定したのに対し、裁判所では「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」の意義が明細書の記載から明らかでないとし、当該課題を認定することができないとした。

 

 また、本件明細書の実施例には「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」の発生状態が「目視観察」できる旨記載されているが、原告は、当該ゲルは人が目視で観察可能な大きさとは考え難いと述べている(判決文第37貢参照)。被告はここでいう「目視観察」に光学顕微鏡等の手段によって観察可能なものが含まれる旨主張しているが(判決文第61貢参照)、本件明細書中に「目視観察」が定義されていないことから、裁判所は「肉眼」で観察可能な従来技術の適用時に発生する「ゲル」と観察方法を区別することができないと判断した。

 

 裁判所の上記判断は、被告の主張する本件発明の解決課題に係る「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」が、従来技術の適用時に発生する「ゲル」とどのように相違するかについて明細書中に十分な記載ないし示唆がされていなかったことに帰するものと考えられる。

 それ故、無効審判で認められた「未解決の課題」が裁判ではそもそも課題として認定されず、「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」に関する被告主張の技術常識さえ認定されるに至らなかった。

 

 なお、本稿では割愛したが、本事件では進歩性の有無(取消事由2)の判断においても「EVOH層の界面での乱れに起因するゲル」の意義が明らかでないという判断の下、本件発明1の有利な効果は参酌されず、進歩性が否定される結果となった。

 

(2)過去の裁判例

 過去の裁判例によれば、『特許法施行規則24条の2が,(明細書には)「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項」を記載すべきとしたのは,特許法が,いわゆる実施可能要件を設けた前記の趣旨の実効性を,実質的に確保するためであるということができる。そのような趣旨に照らすならば,特許法施行規則24条の2の規定した「技術上の意義を理解するために必要な事項」は,実施可能要件の有無を判断するに当たっての間接的な判断要素として活用されるよう解釈適用されるべきであって,実施可能要件と別個の独立した要件として,形式的に解釈適用されるべきではない。』と判示されている(平成20年(行ケ)第10237号 審決取消請求事件)。

 本件明細書が、当業者が技術上の意義を理解できるように記載されたものではないとして実施可能要件違反であるとした本件判決は、上記判示と整合する。

 

(3)実務上の指針

 「課題」重視の傾向にある近時の進歩性判断を念頭に置けば、先行技術と比較した発明の効果、すなわち解決課題の相違が認識可能となるような明細書中の記載は必須と言えよう。

 特に、課題を導く過程において背景となる先行技術や技術常識まで踏み込んだ説明は、発明の持つ技術的意義を理解するための重要な要素であり、委任省令要件の形式的な解釈の下に不十分な記載とならないよう留意する必要がある。

 もっとも、当業者が発明の技術上の意義を当然に理解できる場合には「課題及びその解決手段」についての明示的な記載は必ずしも要求されるものではない。しかしこれを踏まえても、実施形態又は実施例等には発明がどのような課題を解決したのか、その技術上の意義が理解できる程度に詳細な説明がなされるよう留意されたい。

 本判決は、新規な課題及び当業者の技術常識ではない技術的課題を解決しようとする発明について、明細書を起案する際に立ち返るべき視点を判示した点で有用といえる。

以上

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