【みなとみらい IP Navigator】デジタルセラピューティクス(DTx)と知財との関係
この記事の執筆者
弁理士 久保 江理郁(プロフィールはこちら)
■専門分野
食品、化粧品、医薬品、遺伝子工学、バイオインフォマティクス、ヘルスインフォマティクス、ケモインフォマティクス、バイオDXこんにちは。みなとみらい特許事務所、弁理士の久保です。
今回は、デジタルセラピューティクス(DTx)と知財の関係について、ご紹介いたします。1.デジタルセラピューティクス(DTx)の潮流:市場の鼓動と技術の融合
1.1. DTxの必然性
日本のデジタルヘルス市場は、超高齢化社会における医療費高騰や医療従事者の人手不足という喫緊の課題を解決する手段として、急速な成長を遂げています。政府の「医療DX推進工程表」でも、電子カルテの普及、AIやビッグデータ分析による患者ケアの強化を強力に後押ししています。
DTxは、デジタル技術を用いた疾病の予防、診断・治療等の医療行為を支援または実施するソフトウェア等の製品群の一つであり(一般財団法人日本製薬医学会HP)、その有効性と安全性は、医薬品と同様に厳格な審査を経て承認されます。医師の処方箋に基づいて使用される「新しい形の処方薬」として、その市場規模は日本国内で2030年までに300億円に達すると見込まれています。
1.2. 国内における実用化の進展と技術の多様性
現在までに日本で承認されたDTxは、禁煙治療補助アプリや不眠障害用アプリなどの5種類があります。また、グローバルで承認済みの処方箋DTx製品は140製品ほどあり、精神疾患の治療に係るアプリが最も多くなっています。
DTxは、単一の技術に依存するものではありません。心拍数などのバイタルデータの収集、治療対象の疾患の特性や通院間隔などを加味した、適切なタイミングでの通知の送信、患者との対話により治療のモチベーションを維持する仕組みなど、DTxには様々な技術が包含されます。
2.DTxと知財との関係
DTxは比較的新しい分野であるため、日本含む各国においても、DTx製品そのものに関する特許権侵害訴訟の判例はまだありません。しかし、周辺分野の判例や国際的な動向から、DTx分野に特有の法的リスクを検討することができます。
2.1. 日本の場合
日本で取得された特許権は、日本でのみ有効であるところ(属地主義の原則)、IT分野の発明に関しては、他社が、国外に設置したサーバを経由して、特許権侵害となるような行為をしている場合に、日本で取得された特許権の侵害が成立するかどうか、が問題となります。
この点、映像配信システムに係る特許権の侵害訴訟において、海外にサーバが存在する場合であっても、侵害成否が問題となっている行為が、実質的に日本国内で行われたと評価できる場合においては、日本で取得した特許権を侵害するものと判断されました(最高裁(二小)令和7年3月3日判決①・左記に同じく②)。
クラウドサービスを利用して提供されるDTxは、上記と同様の問題が生じる可能性があります。
つまり、他社が、国外に設置されたサーバを利用して、特許権侵害と疑われる行為をしている場合に、特許権侵害が成立するのか(差止請求等が可能なのか)が問題となります。上記判例に照らせば、国外にサーバが設置されている場合でも、特許権侵害が成立すると判断される可能性はあるものの、これから判例の蓄積が待たれる状況です。2.2. 米国の場合
2.2.1 ハイブリッドな課題の定義
DTxやヘルステックの分野は、ソフトウェアと医療科学の融合分野であるため、治療効果のみならず、ソフトウェア分野の発明としての要件を満たす必要があります。
一般的にソフトウェア分野の発明は、Aliceフレームワークの「抽象的アイデア」の排除と、Mayoフレームワークの「自然法則」の排除の両方を受け、特許適格性がない(特許法で保護されるべき発明に該当しない)、と判断されやすく、DTxについても同様と考えられます。
2.2.2 具体的技術的改良とハードウェア統合の必然性
特に米国に出願するに際しては、ヘルスケアのタスクを単に自動化したり、データを分析したりするだけのものは、特許不適格(法律上保護されるべき発明には該当しない)と判断される可能性が、ほかの分野の発明と比較して高いです。このハードルを乗り越えるためには、特許出願書類は「何(what)」ではなく「いかに(how)」に焦点を当て、発明がもたらす「具体的技術的貢献」を強調する必要があります。
対策としては、例えば、AIシステムやソフトウェアと、物理的なヘルスケア機器との間に「明確な繋がり」を示すことが考えられます。
また、ソフトウェアが「医療機器と連携して、新しい機能を提供したり、既存の能力を向上させたりする」方法を強調することも考えられます。たとえば、ウェアラブルデバイスからの生体データに基づいて治療計画を動的に調整するDTxなどにおいては、取得した生体データに基づいて、治療計画をDTxが能動的に調整することにより、従来の(DTxを用いない)治療法と比較して、治療効果や通院継続率が向上することを記載することが考えられます。
3.社会実装の壁
3.1.薬機法、データ保護法との関係
DTxは「プログラム医療機器」として、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)の厳格な規制対象となります。製造販売にはPMDAによる品質、有効性、安全性の審査が必要であり、これにはAIモデルの精度や、臨床ワークフローへの適合性も評価項目に含まれます。
また、DTxの根幹をなす患者の医療データは、極めて機微な「要配慮個人情報」に該当し、個人情報保護法や次世代医療基盤法といった複雑な法規制によって厳重に保護されます。データ活用の促進とプライバシー保護の両立は依然として大きな課題ですが、次世代医療基盤法(内閣府HP)では、仮名加工医療情報の活用が促進され、複数の公的データベースを連携させる仕組みも検討されています。
3.2.技術的解決策
データ活用とプライバシー保護との関係については、技術的な解決策が種々開発されてきています。例えば、「連合学習(Federated Learning)」によれば、複数の組織がデータを外部に開示することなく、共通のAIモデルをトレーニングすることが可能になります。これにより、各企業は自社の機密情報を保護しつつ、他社のデータから間接的に学習するという、新たな協業モデルを構築できます。
また、「準同型暗号方式」や「秘密分散方式」による演算は、データを暗号化したまま演算処理を行うことができ、企業秘密である創薬データを安全に共有し、オープンイノベーションを促進する手段として期待されています。
3.3. 現場に届けるための課題
既存の製薬会社等とは異なり、DTx分野の企業は、自社サービス普及のための流通網を持っていないことがあり、これが社会実装を阻む要因の一つとなっています。
これに対し、塩野義製薬とNTTデータが共同で「DTx流通プラットフォーム」を構築する動きは、従来の「開発→販売」というビジネスモデルからの戦略的な転換を示唆しています。このプラットフォームは、患者、医療機関、DTx事業者に必要な情報連携の仕組みを共通化し、情報を一元管理することを目指しており、法規制をクリアしたサービスをいかにスムーズに市場に届けるかという、ビジネス上の重要な課題への回答となっています。
4.DTx分野における知財戦略
4.1. ソフトウェアのクレーム
DTx分野における特許戦略は、極めて高度な専門性を要求します。単なるアルゴリズムや機能の羅列では、日本でも海外でも、「特許法で保護されるべき発明に該当しない」と判断され、拒絶される可能性があります。
したがって、特許明細書やクレームを作成する際には、以下の点を念頭に置く必要があります。
- 技術的貢献の明確化: DTxがどのような「技術的課題」を解決し、どのような「具体的で有益な技術的効果」をもたらすのかを、できるだけ詳細に記載します。
- 治療効果の裏付け: DTxの治療効果を主張するクレームには、それを裏付けるデータや理論的根拠を明細書(特に、実施例)に含めることが不可欠です。
4.2. 知財ミックス戦略による、多層的な保護網の構築
DTxの知財による保護としては、特許権のみで保護するのではなく、「知財ミックス」戦略を構築することが考えられます。
- 特許権: DTxの核となる革新的なアルゴリズムやその応用方法を保護します。また、分割出願の利用や改良発明についての新規出願をすることにより、他社が回避しにくい特許網を形成することができます。
- 商標権: サービス名やロゴを保護し、市場におけるブランドの信頼性を確立します。
- 意匠権:操作画面(GUI)を保護します。
- ノウハウ秘匿(営業秘密): AIモデルの学習データや特定のアルゴリズムなど、公開したくない(特許出願に適さない)コア技術を保護します。
この多層的な保護網により、競合の模倣を困難にし、持続的な競争優位性の確立を目指すことができます。
4.3. 規制動向との戦略的な連携
DTxの特許戦略は、規制当局の動向と密接に連携させる必要があります。特に、FDA(米国食品医薬品局)やPMDAの承認プロセスには数年を要するため、特許出願のタイミングは、製品の市場投入と特許期間を最大限に活用できるよう戦略的に管理しなければなりません。
例えば、分割出願や優先権主張出願なども活用し、開発の進捗と特許権の確保をバランス良く進めることが求められます。また例えば、規制当局から、DTxの規制案(草案)が公開された時点で、当該規制を前提としてシステム設計をしたうえで特許出願することで、規制当局の動向に対応する特許出願をすることも考えられます。
5. 結び
デジタル治療(DTx)が医療の未来を切り拓く中、この分野の知的財産は、技術、市場、法令の複雑な相互作用の中に位置づけられます。
持続的な競争優位性を築くためには、多層的な知的財産戦略、すなわち「知財ミックス」が重要となります。特許権、意匠権、商標権の取得や、ノウハウ秘匿などを組み合わせて、多面的な知財保護網を構築することで、単一の権利に依存するリスクを分散し、他社牽制をすることができます。
DTxの技術開発は急速に進む一方で、法制度の整備は後手に回っているのが現状です。このギャップを埋めるためには、技術の細部に精通する一方で、関連法規や規制当局の動向を把握するとともに、市場のニーズと規制の要件を統合した事業戦略を策定することが、今後ますます重要となるでしょう。
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