創薬におけるAIの利活用と課題
この記事の執筆者

弁理士 久保 江理郁(プロフィールはこちら)
■専門分野
食品、化粧品、医薬品、遺伝子工学、バイオインフォマティクス、ヘルスインフォマティクス、ケモインフォマティクス、バイオDXこんにちは。みなとみらい特許事務所、弁理士の久保です。
今回は、創薬AI分野の最新動向について、ご紹介いたします。1.AIは発明者になれるか?
知財高裁は令和6年5月16日、AIの発明者該当性に関し、「特許法上の発明者は自然人に限られると解すべきである」と判示しました(知財高裁令和5年(行ウ)第5001号)。
本件は、AIシステム「ダバス(DABUS)」を自律的な発明者として記載した特許出願手続に対し、特許庁長官が行った出願却下処分を取り消すよう求めた訴訟です。
本訴訟では、日本における「発明者」が自然人に限られるのか否かが争点となりました。知財高裁は、知的財産基本法上の「知的財産」の規定から、「知的財産基本法は、特許その他の知的財産の創造等に関する基本となる事項として、発明とは、自然人により生み出されるものと規定していると解するのが相当である。」と認定したうえで、特許法第29条(特許要件)、第36条(願書の記載事項)、同66条(特許権の設定の登録)の規定に照らしたときに、「発明者」とは、特許を受ける権利の帰属主体にはなりえないAIではなく、自然人をいうものと解するのが相当である、と判示しました。
結果として、AIが自律的に行った発明(AI発明)については、特許法上の「発明」の概念に含まれるか否かを判断するまでもなく、現行特許法に基づき特許を付与することはできないとの判断が示されました。
控訴人(原告)が主張した、「民法上の果実取得権に基づき、AIに発明をさせた者が、当該発明について特許を受ける権利を取得できる」とする主張も退けられています。2.大規模言語モデル(LLM)の臨床開発導入と戦略的提携
AI創薬の技術的焦点が、化合物の設計・探索段階から、より高価値でクリティカルな臨床開発段階へとシフトしています。
例えば、中外製薬、ソフトバンク、SB Intuitionsの3社による共同研究に向けた基本合意が挙げられます。この提携は、生成AI(LLM)の活用により臨床開発業務を革新し、新薬開発のスピードアップを目指すことを目的としています。
本提携において、中外製薬はLLM学習用データの提供、SB Intuitionsは臨床開発特化LLMおよびAIエージェントの研究開発、ソフトバンク社はAI計算基盤の提供と社会実装の推進をすることとなっています。
一般的に、医薬品の臨床開発は、治験プロトコルの作成、規制当局への提出書類の準備、大量の臨床データの解析、治験実施計画(Protocol)の管理など、極めて複雑で時間のかかる作業で構成されます。
LLMをこれらの業務に適用することで、文書作成の効率化やデータの統合的な理解が可能となり、開発期間(Time-to-Market)の短縮や、市場における競争優位性の確立を目指すことができます。3.AI創薬時代の戦略的リスク
AI創薬の進展は、技術の進歩に現行の知財・法令制度が追い付いておらず、様々なリスクが考えられます。
これらのリスクにあらかじめ対策するための方針としては、例えば以下のものが考えられます。3.1 特許の無効化リスクへの対応:発明プロトコルの抜本的改定
上記の知財高裁の判決では、「発明者=自然人」であることが判示されました。
そのため、出願する発明へのAIの貢献度が高くても、実質的な貢献がない人間を形式的に発明者として記載した場合、「特許を受ける権利がない者が、特許権を取得したこと」を理由とする、無効審判請求をされるリスクがあります。
このリスクに対応するためには、AIを利用しつつも、発明をしたのが自然人であることが明確になるような発明プロトコルの策定が必要です。
具体的には、例えば、人間の創造的関与(技術的課題の設定、AI生成結果の選択的利用と改良など)を、詳細かつ時系列的に記録するなど、公報記載の発明者が、実際に発明者であること(AIによって発明されたものではないこと)を記録しておくことが考えられます。3.2 データ・モデルの権利帰属リスクへの対応:提携契約の設計
LLMによる臨床開発加速の提携 においては、機密性の高い臨床データ(営業秘密)の利用に伴い、データ・モデルの権利帰属リスクが顕在化します。
特に、モデルの所有権や生成物の権利帰属、営業秘密の利用に関する不正競争防止法上の問題が生じる可能性があります。このリスクに対応するためには、データガバナンスを核とした提携契約の設計が不可欠です。
学習データのライセンス条件、モデルの所有権、生成知見の権利帰属、データ利用終了後のモデル管理などを厳密に規定し、共同開発特許の持分についても、事前に、可能な限り明確な合意を形成することを目指すのが好ましいです 。3.3 知財ポートフォリオの複雑化への対応:特許と営業秘密の二重防御戦略
上記の通り日本では、発明者は自然人である旨の判示がされました。
しかし、上記判例においては、進歩性(特許法第29条)に規定する「当業者」との関係で、「自然人の創作能力と、今後更に進化するAIの自律的創作能力が、直ちに同一であると判断するのは困難であるから、自然人が想定されていた「当業者」という概念を、直ちにAIにも適用するのは相当ではない。さらに、AIの自律的創作能力と、自然人の創作能力との相違に鑑みると、AI発明に係る権利の存続期間は、AIがもたらす社会経済構造等の変化を踏まえた産業政策上の観点から、現行特許法による存続期間とは異なるものと制度設計する余地も、十分にあり得るものといえる。」と示しており、今後の法改正や新たな知的財産権の創設の可能性は、否定できません。
また米国や欧州においても、AIを発明者とするか否かについて、議論がなされている状態です。
このように、創薬に限らず、AIを用いた発明の創作については、大きな潮流の変化がもたらされる可能性があります。
そのため、特許法による保護に限らず、例えば不正競争防止法に基づいて営業秘密として保護するなど、複数の権利を組み合わせた知財戦略の立案をする必要があります。3.4 AIエージェントの責任所在リスクへの対応:XAI義務化とガバナンス整備
臨床開発AIエージェントの自律的な判断ミスが発生した場合、製造物責任法上の責任主体(開発者、提供者、利用者)の特定が困難となるリスクがあります。
この課題に対し、AIエージェントとしては、XAIを用いることが好ましいといえます。
技術的な対策として透明性(XAI)と、判断過程の監査証跡(Audit Trail)の確保を必須要件とし、エラー発生時にも責任を適切に帰属させるための法的・技術的ガバナンス体制を整備することが重要です。4.結論:AI創薬の法的フロンティアにおける戦略的示唆
これまで述べた通り、AI創薬がR&Dのフロンティアを拡大しつつも、既存の知財法制、データガバナンス、および規制制度との関係で、まだまだ検討すべき課題が残っています。
技術と法令(PMDA/FDA規制、知財)を深く理解し、これらのリスクを適切にコントロールし、戦略的に管理する能力こそが、AI創薬の成功を左右します。
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